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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区代々木神園町 (代々木公園)

 オリンピック記念宿舎と見本園
 1964年第18回オリンピック大会が東京で開催され、その時の選手村の跡が代々木公園になりました。
 この建物は当時各国の選手が利用した宿舎のひとつで(オランダ選手宿舎)、東京オリンピックを記念して保存されています。
 見本園(宿舎の左手奥)の樹木は、オリンピックの時に世界各国の選手が持ち寄った種から育てたもので、東京オリンピックを記念して育てられています。









所在地 渋谷区代々木神園町 (代々木公園)

 しあわせの像
 放送は人類英知の所産であり社会、個人の生活へ空からしあわせをふりそそぐ文化の慈雨である
 國民共有の財産としてその連用を過たず事業発展に尽瘁された先達の功労を汎く世に顕わさんがため恰し電通は創業71周年を迎えたのを機に微哀を表してここにしあわせの像を建設し永く鑚仰の誠を捧げんとするものである
 西暦1971年 昭和46年11月15日  株式会社電通

  放送功労者
岩原謙三   日本放送協会会長           1863-1936
吉田秀雄   株式会社電通社長           1903-1963
正力松太郎 日本テレビ放送網株式会社社長   1885-1969
鹿倉吉次   株式会社東京放送社長        1885-1969
   1971年放送功労者選考委員会選
阿部謙夫   北海道放送株式会社社長       1894-1972
足立正     社団法人日本民間放送連盟会長
         株式会社東京放送社長         1883-1973
松方三郎   社団法人共同通信社専務理事    1899-1973
   1976年放送香料者選考委員会選
今道潤三   社団法人日本民間放送連盟会長
         株式会社東京放送会長         1900-1979
高田元三郎 放送番組向上委員会委員長
         毎日新聞社代表取締役         1894-1979
高橋信三   株式会社毎日放送会長         1901-1980
金子秀三   アール・ケー・ビー毎日放送株式会社社長 1900-1980
   1981年放送功労者選考委員会選
石井光次郎  社団法人全日本広告連盟会長
         朝日放送株式会社社長        1889-1981
原安三郎   社団法人日本放送連合会会長    1884-1982
前田義徳   日本放送協会会長           1906-1983
赤尾好夫   株式会社文化放送会長
         全国朝日放送株式会社会長     1907-1983
   1986年放送功労者選考委員会選
山西由之   社団法人日本民間放送連盟会長
         株式会社東京放送社長        1922-1989
小嶋源作   中部日本放送株式会社会長     1915-1989
諏訪博     株式会社東京放送会長        1915-1989
原清      朝日放送株式会社会長        1907-1990
鹿内信隆   フジサンケイグループ議長       1911-1990
   1991年放送功労者選考委員会選
野村幸祐   山口放送株式会社会長         1902-1991
務臺光雄   読売テレビ放送株式会社        1896-1991
松前重義   株式会社エフエム東京会長       1901-1991
石原俊輝   信越放送株式会社社長         1913-1993
深水六郎   株式会社熊本放送会長         1901-1995
   1996年放送功労者選考委員会選
高木一見   株式会社毎日放送会長         1919-1997
浅野賢澄   株式会社フジテレイジョン会長     1916-1997
田部長右衛門 山陰中央テレビジョン放送株式会社社長 1938-1999
小林與三次  日本テレビ放送網株式会社会長    1913-1999
鈴木充     東海テレビ放送株式会社会長     1908-2000
高木盛久   日本テレビ放送網株式会社社長    1918-2000
   2001年放送功労者選考委員会選
青山行雄   読売テレビ放送株式会社社長      1921-2002
坂本朝一   日本放送協会会長             1917-2003
磯崎洋三   株式会社東京放送社長          1933-2004
高橋一夫   中部日本放送株式会社社長       1923-2006
若松信重   東海テレビ放送株式会社会長      1923-2005
   2006年放送功労者選考委員会選     
 建設者  株式会社電通社長 日比野恒次
 制作者  菊池一雄
 設計者  谷口吉郎







所在地 渋谷区代々木神園町 (代々木公園)

 国土緑化の碑
 大戦は国土の荒廃と森林緑地の喪失を招き、災害を続発し水源を枯渇せしめ生活の潤いを奪った。有志はその参状の一刻も放置できないことを見、相はかって国土緑化推進委員会を結成してここに20年、幣原喜重郎氏以来歴代の衆議院議員を委員長に、故村上竜太郎氏を始めとする多数関係者は、国民の繁栄は緑とともにあるという理念のもとに、全国土の緑化を提唱して献身的努力を重ねてきた。
 山に木を植え都市を緑で包むこの国民運動は全国にわたって着々と成果をあげ、現に明治百年記念事業として国が明治の森国民の森の造成を進めているほか、郷土の森県民の森等が各地に育ちつつある。いま東京都が代々木の地に森林公園を開設するのを機とし、その一角を得てこの碑を建てるのは、顧みて国土緑化運動の由来を記念し、その力強い発展をさらに将来に期するためである。
 昭和43年(1968)11月 国土緑化推進委員会








所在地 渋谷区代々木神園町 (代々木公園)

 十四烈士の碑
 十四烈士自刃当時 当地は代々木練兵場であったが米占領軍は進駐直後にこれを接収将校宿舎ワシントンハイツを建設日本人の立入りを禁止した
 昭和27年(1952)講和条約が発効するや景山正治塾長はこの自刃現場の返還を求めたが交渉は難航した しかし諸方諸子氏の献身的努力により昭和33年(1958)に到り建立する碑の高さ大きさに制限を付して漸く許可となり翌34年(1959)この碑が建立された
 昭和39年(1964)東京オリンピックに当りこの全域はその選手村として米軍より日本に返還され其の終了後東京とは代々木公園を造成 開園 漸く日本国民が自由に参拝出来るやうになった
 当地は以上の如き経緯を有するが建碑に当っては米軍進駐前に採取した血染の砂が碑の下に納められている












所在地 渋谷区代々木神園町 (代々木公園)

 代々木公園沿革碑
 この附近は、武蔵野特有の台地で、昔は雑木林の散在する景色のよい所であったといわれ、近世になり、幕府や諸社寺の領地となりました。
 明治時代の末には、代々木練兵場となり、演習などが行われていましたが、明治20年(1890)米軍の宿舎用地として接収され、ワシントンハイツと呼ばれました。第18回オリンピック東京大会開催のとき、日本に返還され選手村となり、終了後は森林公園として整備されました。
明治42年(1909)  代々木練兵場設置
明治43年(1910)  日本で最初の試験飛行に成功
昭和20年(1945)  第18回オリンピック東京大会選手村開設
昭和39年(1964)  代々木公園造成に着手
昭和46年(1971)  代々木公園完成
 東京都












所在地 渋谷区代々木神園町 (代々木公園)

 彫刻 ケツァルコアトゥルの化身「羽毛のある蛇」
作品名 ケツァルコアトゥル 
作者   フェデリーコ シルバ
制作年 1988年
 この彫刻は1990年11月、日本国とメキシコ合衆国の友好親善のシンボルとして、メキシコ合衆国から東京都に贈られたものです。
 古代メキシコ神話の文化神ケツァルコアトゥルの化身「羽毛のある蛇」を表しています。
 1990年11月









所在地 渋谷区代々木神園町 (代々木公園)

 徳川好敏像
 誠実 謹厳 航空に生涯を捧げたこの人が明治43年(1910)12月19日 この地代々木の原でアンリ・ファルマン機を操縦しわが国の初飛行を行い
 飛行時間 4分
 飛行距離 3000米
 飛行高度 70米
の記録を創造して日本の空に人間飛翔の歴史をつくった
 昭和39年(1964)4月17日 赤城 宗徳
 像作者 鋳金家 市橋 敏雄










所在地 渋谷区代々木神園町 (代々木公園)

 日本航空発始の地記念碑
 1910年(明治43年)12月19日、当時代々木練兵場であったこの地において、徳川好敏陸軍大尉はアンリ・フォルマン式復業機を操縦して4分間、距離3,000m、高度70mの飛行に成功した。
 次いで日野熊蔵陸軍大尉も、グラーデ式単葉機により1分間、距離1,000m、高度45mの飛行に成功した。これが日本航空史上、最初の飛行である。
 建立  朝日新聞社
 設計  今井兼次
 彫刻  泉二勝麿
徳川好敏之像 建立 航空同人会  彫刻 市橋敏雄
日野熊蔵之像 建立 航空五〇会  彫刻 小金丸義久
 東京都 昭和49年(1974)12月









所在地 渋谷区代々木神園町 (代々木公園)

 日野熊蔵像
限りなき大空
限りある人生
限りなき代々の祖國のため
限りある現世の定命をささぐ








 翁は熊本の産 豪放磊■英仏独語に通じ数理に秀で選ばれて独逸に飛行機操縦を習得し1910年12月19日此地に於て発動機の不調を克服してグラーデ式を駆り一分間1000米の飛行をした不屈の精神は次代の青少年の範とすべきである
 昭和41年(1966)4月23日 松野 頼三

   飛行機唱歌
  明治44年(1911)6月17日作
  作詞 日野熊蔵   作曲 岡野貞一
勇み立つたる推進機の
響きは高し音高し
時こえて よけれ放てよと
■手を挙ぐる一刹那
御國を守るますらをよ
勲立つる戦場は
かの大空にありと知れ
かの大空にありと知れ
 平成17年(1942)4月17日
日本航空発始之地顕彰保存会 航空碑奉賛同人会



所在地 渋谷区代々木神園町1-1

  明治神宮
 
 祭神
明治天皇(第122代天皇)
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)
 鎮座
大正9年(1920)11月1日
 例大祭
11月3日(明治天皇の誕生日)
 由緒
明治45年(1912)7月30日明治天皇が崩御になりますと、国民の間からご神霊をおまつりして、ご神徳を永遠に敬いお慕いしたいとの熱い願いが沸き起りました。
当神宮の造営にあたっては、全国各地よりの献木と生年団員の勤労奉仕がなされ、更には奉賛会を設立して外苑が奉献をみるなど、全国民挙げての創建となりました。
 沿革
創建当初の社殿をはじめ主要建物は、昭和20年(1945)4月の戦災により焼失しましたが、昭和33年(1958)11月、国内はもとより海外からも多額の浄財が寄せられ、現在の社殿が復興されました。
 境内
内苑(東京都渋谷区代々木神園町)約70万㎡
外苑(東京都新宿区霞ヶ丘及び港区元赤坂)約30万㎡
 神楽殿 
平成の御大典記念事業として造営されたもので、明治神宮崇敬会及び全国崇敬者よりの多大な奉賛により平成5年(1993)に竣功しました。神楽舞、舞楽を奏しての厳粛な祈願祭を随時奉仕しています。
 宝物殿
正倉院の校倉風大床造りの様式を模した建物で、大正10年(1921)に竣功しました。殿内にはご着用の装束、お馬車、日常ご使用になられた品々など、ご祭神縁の御物が展示されています。
 文化館
明治天皇践祚130年の記念事業として平成9年(1997)に竣功しました。総ガラス張りの近代的な建物で、明治の文化と心を現代に広めるため2階には宝物展示室を兼ね備えているほか、参拝者の便に供するため、レストラン・無料休憩所等があります。
 御苑
大正15年(1926)10月に奉献された外延は、ご祭神のご事蹟が描かれた80面の大壁画を展示する明治聖徳記念絵画館を中心に、苑内には野球場、テニスコート、アイススケート場等を備え、スポーツの森として広く親しまれています。
 明治記念館
本館は明治憲法の草案が審議された建物で、昭和22年(1947)明治神宮の総合結婚式場として開館して以来、毎年多くの方々が慶びの日を迎えられます。
      
        MEIJI JINGU
  Deities Enshrined
Emperor Meiji and HIs consort Emperess Shoken
  Date of Establidhment
1st November 1920
  Annual Festival
3rd November(Birthday of Emperor Meiji)
  History
Emperor Meiji passed away on 30th July 1912.
Meiji Jingu,a shrine of national prayer for peace and prosperity was built as a result of combined effortsof al the Japanese to commemorate his virtues.The shrine building was lost by fire during the last war,but was reconstructed in 1958,being supported by all loyal Japanese.The feelings of reverence and yearning of the people for the Emperor and Empress are ever increasing.
  Precincts
The inner garden・・・ 173 acres
                                Yoyogikamizonocho,Shibuya-ku,Tokyo
The outer garden・・・74 acres
                                Kasumigaoka,Shinjuku-ku,and
                                Motoakasaka,Minato-ku,Tokyo
  Kaguraden
This is a building aiming at prayer supported by donations from worshippers all over the country in 1993.
  Treasure Museum
Various articles used by Emperor Meiji and Empress Shoken are displayed and help remind the visitors of their virtunes.
  Bunkakan
In order to spread the vulture and the heart of Meiji era in the present age,treasures are displayed,and there are the restaurant and free resting place for worshoppers.
  Meiji JIngu Garden
Emperor Meiji and Empress Shoken were very fond of this Garden.Irises in June areaespecially beautiful.
  The Outer Garden
This was donated by the populace to Meiji Jingu in 1926.
There are Emperor Meiji's funeral site,Meiji Memorial Art Gallery,great stadium,tennis courts,etc,,and it is internationally known as the sports center of Japan.
  Meiji Memorial Hall
The Meiji Constitution was drafted in this building.Shinto weddings are performed here.











 明治神宮には『明治神宮御苑』、『大鳥居』、『夫婦楠』、『神橋』、『清酒菰樽』、『葡萄酒樽』があります。





 


所在地 渋谷区代々木神園町1-1 (明治神宮)

 清酒菰樽
明治神宮の御祭神明治天皇様は、明治の御代に我が国の様々な産業を奨励し技術の振興に御心を注がれ日本の興隆と近代化を成し遂げられました。
また、我が国の国母と慕われた昭憲皇太后様と共に両御祭神の広大無辺な御聖徳は国民ひとしく仰ぎ奉るところであります。
ここに奉供されています菰樽は、ご縁を以て永年当神宮へ奉納を頂いております甲東会を始め、昭和38年(1963)に結成された明治神宮全国酒造敬神会会員、また全国各地の敬神の念厚き酒造家より献納されたものであります。
ここに、ご奉献頂いた酒造各社に衷心より感謝申し上げますと共に、酒造業を始めとした我が国の伝統文化を担う諸産業が益々栄えますことをご祈念申し上げます。
 明治神宮

                  Barrels of Sake Wrapped in Straw
During the Meiji Era,Emperor Meiji,whose dibinga soul is enshrined here at Meiji Jingu,led the industrial growth and modernization of Japan by encouraging various industries and supporting technological deveopment.
Due to their grace and virtue,Emperor Meiji and his consort,Empress Shoken,the beloved mother of our nation whose soul is also enshrined here,are held in the heghest esteem by the Japanese people.
These asake barrels are offeres every year to the enshrined deities by members of the Meiji Jingu Zenkoku Shuzo Keisinkai (Meiji Jingu Nationwide Sake Brewers Association) including th Kotokai,which has made offerings of sae for generation,as well asa other sake brewers around Japan wishing to show their deep respect for the souls of Emperor Meiji and Empress Shoken.
In addition to stating our humble gratitude to all of the brewers who have so graciously donated their sake,we also pray for the continuous prosperity of the sake brewing industry and all the other industries maintaining Japan's traditional culture.







所在地 渋谷区代々木神園町1-1 (明治神宮)

 大鳥居
我が国で最も大きい木造の『明神鳥居』。昭和50年(1975)12月23日建替竣功、篤志家により奉献。形式寸法共に大正9年(1920)創建の鳥居に同じ。原木は台湾丹大山の樹齢1,500年に及ぶ扁柏。
高さ12メートル   柱と柱の間 9.1メートル   島木の長さ 15.5メートル
柱の径 1.2メートル   笠木の長さ 17メートル

           OTORII (THE GRAND SHRINE-GATE)
THE IS THE BEGGEST WOODEN "TORII" OF THE MYOJIN STYLE IN JAPAN,REBUILT AND DEDICATED BY A PIOUS BENEFACTEOR ON DECEMBER 23,1975,AND MODELED BOTH IN FORM AND SIZE EXACTLY AFTER THE ORIGINAL BUILT IN 1920,THE MATERIAL WOOD USED IS "HINOKI" (=JAPAN CYPRESS),1,500 YEARS OLD FROM MT.TANDAI-SAN TAIWAN.
HEIGHT:12m     LENGTH OF CROSSPIECE:17m
DIAMETER OF EACH PILLER:1.2m     L
ENGTH OF UNDERCROSSPIECE:15.5m
DISTANCE BETWEEN THE TWO PILLARS:9.1m







所在地 渋谷区代々木神園町1-1 (明治神宮)

 夫婦楠めおとくす
この楠は大正9年(1920)の御鎮座当時の献木され、御祭神の御加護のもと樹勢瑞々しき大樹に育った御神木であります 両樹木は「夫婦楠」として親しまれ、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴となっております
御参拝の皆様方には、この御神木を通して御祭神のお恵みをお受け下さい







所在地 渋谷区代々木神園町1-1 (明治神宮)

 葡萄酒樽
 明治天皇御製
 よきをとりあしきをすてて外國に
  おとらぬくにとなすよしもがな
「和魂洋才」を旨とし、わが国の伝統のこころを守りつつ、西洋の優れた文物を採り入れた明治時代。御在世中、まさ国民の模範となって近代化を推し進められた明治天皇は、断髪、洋装をはじめ衣食住の様々な分野において西欧文化を積極的に採り入れられました。食文化においても率先して要職をお召し上がりになり、西洋酒としては特に葡萄酒をお好みになられました。
ここに奉供されております葡萄酒樽は、ブルゴーニュ東京事務所代表でブルゴーニュ名誉市民、シャトー・ドゥ・シャイイホテル・オーナーでもある佐多保彦氏の呼びかけにより、葡萄酒産地として名高いフランス共和国ブルゴーニュ地方は醸造元各社より献納されたものであります。ご縁により遠く海を越えご奉献頂いた方々に衷心より感謝を申し上げますとともに、御祭神の世界友好への深い御心を戴き、わが国とフランスとの親交が一層深まりますよう祈念致します。
 明治神宮

 Provenance of thhe Bourgogne Wine for Consecration ata Meiji Jingu
The Meiji period was an enlightened period during which a policy of "Japanese Sprit and Western Knowlege" was adopted, to learn from the best of Western culture and civilization while keeping Japan's age-old spirit and revered traditios.Emperor Meiji led the wayin promoting modernization by embracing many features of western culture in his personal life,such as shearing his topknot and donnig western attire,and in many other aspects of daily living.Among these departures,His Mafesty ser an example by taking western food and in prticulara by enjoying wine with it.


The barrels of wine to be consecrated at Meiji Jingu have been offered by the celebrated wineries of Bourgogne in France on the initiative of Mr.Yasuhiko Sata,Representative, House of Burgundy in Tokyo,Honorary Citizen of Bougogne and owner of th Chateau de Chailly Hotei-Golf.Profound gratitude is due to the winemakers who have so generously conributed to this precious gift to be consecrated here to the spirit of world peace and amity,with the earnest prayere that France and Japan will enjoy many more fruitful years of friendship.
 Meiji JIngu



所在地 渋谷区代々木神園町1-1 (明治神宮)

 明治神宮御苑
 明治天皇御製
  空蝉の代々木の里はしづかにて
   みやこのほかのここちこそすれ
 この御苑は江戸時代の初めから、大名加藤家、井伊家の下屋敷の庭園でありましたが、明治初年、皇室のご料地となり明治天皇の思召により、所々模様替えがなされ、昭憲皇太后には、たびたび行啓になられた由緒深い名苑であります。
 面積は約83,000平方米(2万5千坪余)で武蔵野特有の面影を残した苑内には、隔雲亭、御釣台、四阿、南池、菖蒲田、清正井などがあり、四季折々の眺めは誠に趣があり、殊に6月に咲き競う御祭神ご遺愛の花菖蒲の美しさは格別です。

    MEIJI JINGU GARDEN
 This Garden was originally a part of compounds of a daimyo yashiki (a feudal lord's mansion) owned by the Iis.Since the biginning of the Meiji Era(1868~) it became the Imperial estate and was put improvements into by the order of His Mafesty the Emperor Meiji.
 Her Mafesty the Empress Shoken as well as His Mafesty frequented this historic place.
 It spreads 83,000 wquare meters with the reminiscences of musashino fields.In it there are spots of interest such as Kakuuntei (a tea house),Otsuridai (a fishing platform),Azumaya (a resting huse),Minamiike (a pond), Shoduda (an iris field) and Kiyomasaido (a well),each of which never fail to attract you through the year whenever  you visit,espesially at the changes of the four seasons.Among the glamorous groups of flower,irises in June is the bes to observe,which the late Her Majesty cherished a deep affection for.






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永山
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男性