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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区西原3-31-1

東寺真言宗
 代々木山 雲照寺



 雲照寺には『庚申塔・板碑』、『絹本著色仏涅槃図』、『木造十一面観音立像』があります。

 
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所在地 渋谷区西原3-31-1 (雲照寺)

 絹本著色仏涅槃図 
  区指定有形文化財 平成21年(2009)2月26日
 涅槃図とは、釈迦が入滅する場面を描いたもので、一般的には陰暦の2月15日の涅槃会の際に用いられます。本図の中央には釈迦が両膝を少し曲げて横たわり、手枕をして顔をこちら側に向けています。釈迦の周りには、菩薩や仏弟子、天部や俗人、動物たちまでもが嘆き悲しむ姿に描かれています。釈迦が横臥する宝台が左側面を見せる構図や会衆が多くなrんは、平安時代の形式とは異なり、鎌倉時代以降に一般的になる形式です。右上方には、雲に乗って馳せ下る摩耶夫人(釈迦の母親)と侍女の一行が描かれており、画面は涅槃教典に忠実に基づいて描かれています。このうち、仏鉢じゃ錫杖に懸け沙羅双樹に立て掛けるのが通常ですが、本図では、釈迦の頭部の後ろに置くという特色が見られます。特に人物の表現が豊かであり、宋元風の筆法を取り入れた巧みな描線とともに、細やかな着衣の彩色文様も、よくとどめられています。
 釈迦を比較的大きく描き、あまり俯瞰視しない構図とするのも古様であり、本図の制作は南北朝時代に遡ると考えられます。
 伝来については明らかではありませんが、都内では江戸時代の作例が多い涅槃図にあって、本図は中止の希有の優品として価値が高く、区内の最古例として賞されます。
 渋谷区教育委員会



所在地 渋谷区西原3-31-1 (雲照寺)

 庚申塔・板碑
 江戸時代の民間信仰のひとつに庚申講がありました。初期には60日ごとに講中(グループ)が集まって念仏と唱え、長寿を祈る行事でしたが、のちにレクリエーションに変わっていったようです。
 その信仰の対象がこの庚申塔で、青面金剛、天邪鬼、日月、三猿、二鶏その他が彫ってあり、寛文12年(1672)の銘が刻まれている立派なものです。
 板碑は、鎌倉時代頃から作られはjめた卒塔婆の一種です。うすく割った石の頭部を三角形に作り、上部に二本の横線を刻み、その下に阿弥陀の梵字を彫ってあります。造立年代は不明ですが、本区の中世史研究に欠くことのできない大切な資料です。
 渋谷区教育委員会
所在地 渋谷区西原3-31-1 (雲照寺)

 木造十一面観音立像 
  区指定有形文化財 平成19年(2007)3月1日
 本像は、頭上に十面と化仏立像をいただく十一面観音立像で、左手で未開の蓮華を挿す水瓶をとり、右手は肘を軽く曲げて下ろす姿です。現在は、頭上面のすべてを後世に作り直している(このうち一面を欠く)状態ですが、本来十一面観音像として造立されたことは確かです。
 像の表面も近世の着色に覆われていますが、おなかを引きしぼり、腰をわずかに左にふり、右足を前に出して立つ細身の優美な姿は、平安時代後期の特色をよく伝えています。ただし、お顔の奥行きが深い点や腰につける裳の正面に渦文をあしらうかたちなどは、平安時代前期の作風を踏襲するもおで、院政期の中央の作とも異なるつくりといえます。像本体は、頭部から両足まで一本の樹木(針葉樹)で通し、像の内部を刳り抜かない一本造(いちぼくづくり)という技法によっています。
 本像の伝来は不明ですが、都風の洗練された表現様式を巧みに活かした12世紀半ば頃の古像が当区に存在すうのは稀有な例です。
 渋谷区教育委員会


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