東京都渋谷区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 渋谷区代々木5-65 「春の小川」歌碑 ここはかつて清らかな小川が流れ、黄色のかわいらしい”こうほね”が咲いていたので、河骨(こうほね)川と呼ばれていました。春になると、岸辺にはれんげやすみれが咲く、のどかな所でした。 明治42年(1909)から代々木山谷(現代々木3丁目3号)に住んでいた国文学者の高野辰之氏は、このたりの風景を愛して、しばしばこのほとりを散策したといわれてます。そして、今も歌い続けられている『春の小川』を作詩して、大正元年(1912)に発表しました。この詩は、小学唱歌となり、現在に至るまで広く愛唱されています。 現在、河骨川は暗渠となり、もはや当時のおもかげはありませんが、この詩から明治末ごろの付近の様子を知ることができます。ここにある歌碑は、このことを永く後世に伝えるために、地元の篤志家が建設し、渋谷区に寄贈されたものであります。 渋谷区教育委員会 PR |
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永山
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