東京都渋谷区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 渋谷区宇田川町1-10 二.二六事件慰霊像(2.26事件) 昭和11年2月26日未明、東京衛戍歩兵第一第三連隊を主体とする1500余の兵力が、かねて昭和維新断行を企図していた。野中四郎大尉等青年将校に率いられて蹶起した。 当時東京は晩冬にしては異例の大雪であった。 蹶起部隊は積雪を蹴って重臣を襲撃し総理大臣官邸陸軍省警視庁等を占拠した。 齊藤内大臣高橋大蔵大臣渡邊教育総監は此の襲撃に遭って斃れ、鈴木侍従長は重傷を負い、岡田総理大臣牧野前内大臣は危く難を免れた。 此の間、重臣警護の任に当たっていた警察官のうち5名が殉職した。 蹶起部隊に対する処置は4日間に穏便説得工作から紆余曲折して強硬武力鎮壓に變轉したが2月29日、軍隊相撃は避けられ事件は無血裡に終結した。 世に是れをニ・ニ六事件という。 昭和維新の企図壊れて首謀者中、野中、河野両大尉は自決、香田、安藤大尉以下19名は軍法会議の判決により東京陸軍刑務所に於て刑死した。 此の地は其の陸軍刑務所跡の一隅であり、刑死した19名と是れに先立つ永田事件の相澤三郎中佐が刑死した処刑場跡の一角である。 此の因縁の地を選び刑死した20名と自決2名に加え重臣警察官其の他事件関係犠牲者一切の霊を合せ慰め、且つは事件の意義を永く記念すべく廣く有志の浄財を集め事件30年記念の日を期して慰霊像建立を発願し、今ここに其の竣工をみた。 謹んで諸霊の冥福を祈る 昭和40年(1965)2月26日 佛心會代表 河野司 誌 PR |
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永山
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