東京都渋谷区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 渋谷区千駄ヶ谷5-22 仰徳国民学校(千駄ヶ谷第二尋常小学校)跡 明治39年(1906)6月28日、千駄ヶ谷第二尋常小学校が第4学年までの児童262名、教師4名の組織でこの地に開校しました。 その後、明治41年度から義務教育年限が6年に延長され、更に、昭和16年(1941)4月1日から国民学校令が施行され、校名を仰徳国民学校と変更しました。 昭和20年(1945)5月24日、戦災によって校舎が全焼し、翌昭和21年(1946)3月31日、戦災後の都内国民学校の整理統合によって廃校となり、明和国民学校(現、鳩森小学校)に統合されました。地元ではその廃校が惜しまれましたが、新しい時勢に対応し、40余年にわたって卒業生4600余人を送り出した輝かしい歴史を閉じました。 渋谷区教育委員会 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|