東京都渋谷区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 渋谷区神宮前3-8-9 妙円寺(穏原小学校旧跡) この道路の向かい側に、かって穏原小学校がありました。 この学校は、妙円寺などの寺子屋の児童を収容し、穏田・原宿両村の連合公立小学校として、明治14年(1881)に、当時の原宿七十番地に開校したもので、当初の児童数は24名にすぎませんでした。しかし、付近の住宅化が進むにつれ児童数も増加したため、明治21年(1888)にこの場所に校舎を新築し、移転してきました。 その後、校地が再び狭くなり、明治33年(1900)に原宿百七十番地に移転、さらにまた、現在原宿中学校がある場所に移りました。 この間、大正11年(1922)には分教場(現在の神宮前小学校)を設け、めざましい発展を遂げたのですが、昭和20年(1945)5月の空襲によって校舎を焼失し、児童数も激減したため、在籍児童を神宮前小学校に移し、昭和21年(1946)3月、65年にわたる歴史の幕を閉じましたが、この間はぐくまれた建学の清神は、多くの卒業生によって受けつがれております。 渋谷区教育委員会 PR |
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永山
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