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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区宇田川町1-1 (渋谷区役所) 

  なかよし像
 私どもは、世界の恒久平和と人類永遠の繁栄を心から希求する。
 私どもは、昭和35年(1960)2月10日世界連邦の趣旨に賛同し、世界連邦都市を宣言した。
 ここに、この像を建立し、訪れる人ひとりひとりに私どもの願いを伝えたい。
 昭和54年(1979)10月29日 渋谷区





所在地 渋谷区宇田川町1-1 (渋谷区役所) 

  渋谷・トルコ 日本友好碑
 2003年は、日本におけるトルコ年です。
 渋谷区は、トルコ共和国と渋谷公会堂での「夕星の調べ」、松涛美術館における「トルコ現代絵画展 工芸とイズニックタイル展」を共催するなど交流を深めてまいりました。
 この碑は、渋谷区とトルコ共和国大使館が連携と親睦を深めて「平和・国際都市 渋谷」を推進する象徴として、トルコ共和国から渋谷区に贈られたものです。
 2003年10月 
 駐日トルコ共和国特命全権大使
 渋谷区長 桑原 敏武

寄贈  平和の鐘
東京渋谷ロータリークラブ 創立10周年記念
建立 平成22年(2010)10月1日平和・国際都市 渋谷の日

Danating   BELL for PEACE
TOKYO SHIBUYA ROTARY CLUB
The  10th anniversary of establishment
Build Oct.1.2010
SHIBUYA Peace-International City Day


所在地 渋谷区宇田川町1-10

  二.二六事件慰霊像(2.26事件)
昭和11年2月26日未明、東京衛戍歩兵第一第三連隊を主体とする1500余の兵力が、かねて昭和維新断行を企図していた。野中四郎大尉等青年将校に率いられて蹶起した。
当時東京は晩冬にしては異例の大雪であった。
蹶起部隊は積雪を蹴って重臣を襲撃し総理大臣官邸陸軍省警視庁等を占拠した。
齊藤内大臣高橋大蔵大臣渡邊教育総監は此の襲撃に遭って斃れ、鈴木侍従長は重傷を負い、岡田総理大臣牧野前内大臣は危く難を免れた。
此の間、重臣警護の任に当たっていた警察官のうち5名が殉職した。
蹶起部隊に対する処置は4日間に穏便説得工作から紆余曲折して強硬武力鎮壓に變轉したが2月29日、軍隊相撃は避けられ事件は無血裡に終結した。
世に是れをニ・ニ六事件という。



昭和維新の企図壊れて首謀者中、野中、河野両大尉は自決、香田、安藤大尉以下19名は軍法会議の判決により東京陸軍刑務所に於て刑死した。
此の地は其の陸軍刑務所跡の一隅であり、刑死した19名と是れに先立つ永田事件の相澤三郎中佐が刑死した処刑場跡の一角である。
此の因縁の地を選び刑死した20名と自決2名に加え重臣警察官其の他事件関係犠牲者一切の霊を合せ慰め、且つは事件の意義を永く記念すべく廣く有志の浄財を集め事件30年記念の日を期して慰霊像建立を発願し、今ここに其の竣工をみた。
謹んで諸霊の冥福を祈る
 昭和40年(1965)2月26日 佛心會代表 河野司 誌


所在地 渋谷区宇田川町7-1

  国木田独歩住居跡
 国木田独歩は、明治4年(1871)調子に生まれ、明治29年(1896)ここに移り住み、名作「武蔵野」の構想を練りました。また「源叔父」「欺かざる記」もここで執筆しましたが、翌明治30年(1897)6月麹町に移りました。
 平成20年度 渋谷区教育委員会


所在地 渋谷区宇田川町10-2

  宇田川地蔵
 円い頭(比丘僧形)をして衣をまとったお地蔵様は、大衆にとって最も身近な菩薩です。



 地蔵菩薩は、現世と来世との間にたって、人が死んだ時には、その魂を救ってくれるものと信じられてきました。
 このような考え方ですから、その進行が大衆に伝えられた時代はかなり古く、また、広い階層にわたっています。
 正面の地蔵尊像は、最近の造立ですが、右横にある像は、もと道玄坂下にあったもので、元禄元年(1688)の造立です。



 なお、堂外右手には戦災で破損しているものや台座のみのものを含めて3基の庚申塔があります。
  渋谷区教育委員会


所在地 渋谷区宇田川町13-11 

山路愛山終えんの地

 史論家として知られる山路愛山は、元治元年(1864)浅草に生まれました。明治29年(1896)から大正6年(1917)、54歳で没するまでここに住み、多くの作品を発表しました。代表的な著書に「豊太閤」「西郷隆盛」「足利尊氏」などがあります。
 平成8年(1996) 渋谷区教育委員会


所在地 渋谷区宇田川町31

  竹久夢二住居跡
 画家・詩人竹久夢二は、38歳の大正10年(1921)8月から大正14年(1925)1月まで、この場所(当時、渋谷町宇田川857番地)に住んで、「どんたく図案社」「一草居」の表札を掲げて画業にはげみ、また小説の執筆なども行っていました。
 昭和57年(1982)3月 東京都渋谷区



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