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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区代々木3-29先

  玉川上水跡
 ここには、かつて神田上水とともに江戸の二大上水と呼ばれた玉川上水が流れていました。現在は暗渠となり、当時の面影を偲ぶことはできませんが、各所に残る橋の欄干は玉川上水の名残です。
 江戸時代初期、江戸の住民は神田上水赤坂溜池の水を飲料水として利用していましたが、江戸市中の発展につれ水不足をきたしました。そこで、承応元年(1652)に玉川上水開設の計画が立てられたのです。承応2年(1653)正月、幕府は庄右衛門・清右衛門兄弟に工事請負を命じました。ここに老中松平伊豆守信綱を惣奉行とする、玉川上水開設の計画はスタートしたのです。信綱の巨安松金右衛門の設計に従い、多摩郡羽村に堰を設けて取水口とし、四谷大木戸まで約43キロの開削水路を通し、そこから先は地価に配管(石樋・木樋)を敷設するという、当時としては非常に画期的な工法がとられました。
 このほかに玉川上水は、江戸市民の飲料水供給にとどまらず、灌漑用水や新田開発など武蔵野台地の発展にも計り知れない恩恵を授けたのです。
 渋谷区教育委員会
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