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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区千駄ヶ谷2-24-1

 法雲山 仙寿院

 当山は、正保元年(1644)紀伊の太守徳川頼宣の生母お萬の方(法名・養珠院妙紹日心大姉)の発願により里見日遥(安房の太守里見義康の次子)を開山として創立された。従って江戸期は、紀伊徳川家、伊予西条松平家の江戸表における菩提寺祈願所として、十万石の格式をもって遇せられ、壮大な堂宇と庭園は江戸名所の1つに数えられ、新日暮里(しんひぐらしのさと)とも呼ばれていた。
 お萬の方は、徳川家康の側室で紀伊徳川家の祖、頼宣水戸徳川家の祖、頼房の生母でもあり、また法華経の信仰篤く日蓮宗門の大外護者として知られている。
 開山里見日遥(一源院日遥上人)は、後に飯高檀林へ招かれ多くの法弟を育成し、更に越後村田妙法寺へ瑞世した。日遥を祖とする千駄ヶ谷法類は、当山を縁頭寺とする。
 江戸期において隆盛を誇った当山も明治維新の変革によって衰微し、明治18年(1885)には火災によって全山焼失、その後里見日玞(體遵院日玞上人)により復興されるも、昭和20年(1945)戦災で再び全山焼失した。更に昭和39年(1964)東京オリンピックの道路工事などによって寺観は一変したが、昭和40年(1965)には本堂、書院を再建、昭和59年(1984)には書院、客殿を増改築し、昔日には遠く及ばずながら復興し現在に至っている。
 昭和63年(1988)10月吉日 誌  当山



渋谷区指定有形文化財
 銅板日遥墓誌
     平成17年(2005)3月24日指定

 本墓誌は、銅板に塗金を施したもので、近世に作製されたものです。墓誌銘には、当院の開山である日遥上人(号一源院。安房ノ太守里見義康の次男。延宝5年〔1677〕12月7日遷化)生涯と事績を表裏に三十二行、約八百字にわたって刻んでいます。これによれば、開山日遥の遷化後まもない延宝6年(1678)2月7日に日遥の門弟で当院第3世となった日逢上人が記したものであることがわかります。
 昭和38年(1963)に行われた道路拡幅工事のとき、墓地の改葬を行った際、開山墓石下より発見されました。仙寿院は正保元年(1644)に赤坂の紀伊徳川屋敷より現在地へ移転してきた寺院ですが、本墓誌は、その歴史と開山日遥上人に関する歴史資料として貴重です。
 渋谷区教育委員会
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