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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区神宮前5-5 (表参道コート)

  大山史前学研究所と大山柏邸跡
 昭和20年(1945)5月の大空襲によって焼失するまで、この場所には大山柏(元公爵・文学博士)の邸宅と主催する大山史前学研究所がありました。

 大山柏(1889~1969)

 柏は、明治の元勲大山巖公爵の次男として明治22年(1889)6月、東京に生まれ、兄の高が早世したことにより家督を継ぎました。軍人の家柄に生をうけた柏は、兄亡きのち、軍人の道を歩むことになります。大正12年(1923)に近代戦史研究の名目でヨーロッパに留学し、あわせて考古学の研究も行っています。


                      神奈川県勝坂遺跡出土土器

 大正13年(1924)に帰国した柏は、自邸内に史前研究室(のちに大山史前学研究所)を設立し、史前研究会(のちに史前学会)を組織しました。大山史前学研究所は、遺跡の調査研究、雑誌の刊行、出土品の展示、約一万冊にもおよぶ蔵書の閲覧など、現在の国公立研究所にも劣らない機能を持ち、戦後の日本考古学の基礎を築いたばかりでなく、そこに集った多くの若い研究者は、現在の日本考古学の躍進に寄与しています。

 研究所蔵 欧州旧石器

 戦後の柏は、西那須の別荘に移り住み、昭和44年(1969)8月20日に他界しました。
 渋谷区教育委員会

 甲野勇

  大山史前学研究所の由来と意義
 大山史前学研究所は1929年(昭和4年)に公爵大山柏によって設立された私設の考古学研究所である。大山は1923年(大正12年)にドイツに留学し、ベルリン大学で史前学を学び、帰国後邸内に私財を投じて大山史前学研究所を開設した。その母体は邸内に開設されていた史前研究室である。さらに史前学会を組織して日本の新石器時代を中心とした学術雑誌「史前学雑誌」を刊行するとともに100ヶ所以上の縄文時代の遺跡を調査し、その成果を次々に学界に発表した。

 宮坂光次

 大山らの発掘した主な遺跡には青森県是川遺跡・宮城県沼津貝塚・茨城県広畑貝塚・上高津貝塚・千葉県加曽利貝塚・遠部台遺跡・埼玉県真福寺貝塚・神奈川県子母口貝塚・勝坂遺跡などがある。

 池上啓介

 研究所には甲野勇、宮坂光次、池上啓介、竹下次作、大給貴尹らの所員がおり、研究所の発掘調査や報告書の作成と史前学界の活動を支えた。1943年(昭和18年)には貴族院議員であった大山柏も北海道根室・室蘭守備隊に出征し、研究所は閉鎖状態となり、1945年(昭和20年)5月25日の空襲によって多くの貴重な文献や資料は邸宅や研究所とともに焼失した。

 竹下次作

 しかし、戦前の皇国史観による歴史学への弾圧が続くなかで、大山柏の研究は純粋な科学的精神によって貫徹され、かつ今日の旧石器時代、縄文時代の研究においても重要なものが多く、日本考古学の歴史のなかに占める意義はきわめて大きいものがある。
 2001年8月20日 史学博士 阿部芳郎

 大給尹
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