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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区千駄ヶ谷1-13-11


真言宗豊山派
 観谷山 福聚院 聖輪寺

 本尊
如意輪観世音菩薩(伝行基菩薩作)
 開基
行基菩薩 神亀2年(725年)
 中興開山
法印宥光 明暦3年寂(1657年)
 総本山
長谷寺 奈良県桜井市初瀬
慶安4年(1651年)長谷寺の末寺となる
 祖師
宗祖 弘法大師(空海)ご宝号「南無大師遍照金剛」
中興祖 興教大師(覚鑁)ご宝号「南無興教大師」
派祖 専誉僧正ご宝号「南無専誉僧正」
 史蹟
僧誉法印の墓 宝永4年寂(1707年)
当山第三世 甲州流兵学者「明良洪範」の著者
 札所
近世三十三世観音札所 第二十番
御府内八十八ヶ所 第十番 阿波国切幡寺の移し



   聖輪寺観音略縁起
神亀2年(725)5月、行基菩薩北越遊行の時、此地に暫く休息されました。谷の中より光がさし、聖如意輪観音が出現し、「此地は我に因縁あり、汝よろしく我姿を彫刻し、来世の衆生に結縁せよ、広く利益を与える事であろう」と申され、大きな古木の本に消えました。行基菩薩は感激し、その古木を加持し、三尺五寸の如意輪観音像を彫み石の上に安置しました。
これ故に山号を観谷山、寺号を聖輪寺と号することとなった。
文明(1469)の頃、渋谷氏一門の何某、この尊像を深く信仰し、その家は日々に栄え、子孫繁栄、富貴自在の身分となり、世の人々より黄金長者と呼ばれるようになった。同氏は堂宇を営造しこの尊像を崇いました。青山長者丸という所はこの黄金長者の跡である。
天正(1573)の頃、この里の童達が集まりこの尊像を前の川へ運び、共に水浴びして遊びました。不思議な事に、ある夜、里人の夢の中に尊像が現れ「善哉善哉、童達毎日、吾を浴びせそ縁により、一切の病難から救うであろう、汝ら疑う事なかれ」と告げました。その頃、国中に疱瘡が流行しましたが、この里の人々は病気から免れ、これ偏に観音の大悲護念のしるしであると、この時より尊像の扉を閉め秘仏として崇め奉りました。
又、慶弔3年(1596)3月、盗賊が忍び入り、この観音の双眼は、黄金であると伝へ聞き、鑿で取り去ろうとした時、守護神の罰か、自然に自ら所持していた鑿に貫かれて死んだ。甲賀組の高橋四郎左衛門が親たりにこれを見、観音の霊験に驚き堂宇を再興して敬った。
これより観音は「目玉の観音」「千駄ヶ谷観音」と呼ばれ信仰を集めた。
『文政寺社書上』観谷山聖輪寺観音略縁起より
 宝暦5年(1755)豊山小池坊僧正信怒録
尚『江戸砂子』に、「この江戸において千余歳を数える霊場は浅草観音と当寺である」と記されている。

 境内には『庚申塔』があります。
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