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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区東4-10-28 (国学院大学)

この雪見燈篭と月桂樹(図書館側)、奇妙な形をした岩は、大正12年(1923)に麹町区飯田町5丁目(現ちよだく飯田橋3丁目)から、現在の渋谷校地に全学移転した際、飯田町校舎から移されたものである。兎と、つきに叢雲(むらくも)、粋な小窓を周囲に配したゆきみ燈篭は、皇典講究所本部として建てられてあった、御殿造りの建物に付いていた小庭の片隅に置かれていたもので、岩もその付近にあったと伝えられている。その御殿造りの建物は、将軍御成の際の休憩所として、護国寺(文京区)境内に建てられてあったものを譲りうけて移築。明治40年(1907)6月、本館新築の際に2度目の解体にあったが、渋谷校地に移転後の大正13年(1924)、剣道部生みの親、石渡幸之輔氏(第1期)の指定寄付金(1350円)により、西側校地(現若木会館)付近に、剣道場「振武館」(柔道場併置)として再建。昭和38年(1963)、渋谷校地再開発の完了に伴い解体された。月桂樹は、豊田亨・渡部啓次郎両氏が卒業(明治43年、第18期師範部国語漢文科)記念樹として幼木を寄贈、飯田町校舎玄関前の馬車回しの植樹帯に植えられた。渋谷校地に移転後、前庭に移植され、関東大震災や戦災に遭わずに、渋谷の環境に慣れて成長を遂げてきたが、昭和41年(1966)9月24日の台風26号の暴風雨のために、根元から1mほどのところでポッキリと無残にも折れたことがあり、その後も雪の重みで幹が折れることもたびたびあったが、翌昭和42年(1967)春にはその傷んだ古い幹から発芽し、また、ひこばえが立派に成長して今に至っている。現在の樹齢はおよそ90年、豊田氏は福岡県、渡部氏は島根県の出身で、卒業後は両氏とも郷里に帰り、県立や私立高等学校校長などの教員生活を送られた。
 (校史資料課)



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