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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区広尾5-1-21 (祥雲寺)

  大給恒墓
おぎゅうゆずる

 大給松平氏は、松平一門として徳川幕府に仕えました。その本拠は三河ですが、竜岡城(現長野県佐久郡臼田町。国指定史跡)は、恒が造った江戸時代の最後の城郭建築で、函館の五稜郭とともに我が国には珍しい洋式の城です。
 恒は明治維新後に姓を大給と改め、新政府の要職に就きました。明治11年(1878)には、賞勲局副総裁となり、明治28年(1895)には、総裁となりました。日本の勲章制度の礎を築くとともに、彼が考案した日本古来の伝統に基づく勲章のデザインは現在も使われています。
 また、明治10年(1877)5月に、佐野常民らと日本赤十字社の前身である博愛社を創設し、常民とともに初代副総長となり、日本の医療・福祉制度の整備に努めました。
 大給恒は、この説明板の左手奥、祥雲寺山内の墓地にあり、大きな墓碑には「枢密院顧問官 正二位勲一等 伯爵 
大給恒墓 明治四十三年一月六日甍」と刻まれています。
 渋谷区教育委員会
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