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東京都渋谷区の歴史
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所在地 渋谷区渋谷3-4-7 (豊栄稲荷神社)

  庚申塔略記碑
ここに建てられている庚申塔は江戸時代、中渋谷村、中豊沢村、宮益町など金王八幡神社を中心とする地域に住んでいた人々が建てたものです。そのころ人々は大変盛んであった庚申、信仰を受け入れ、近隣相集い講を結んで61日目毎に廻ってくる庚申の日に、勤行飲食談笑しばし日ごろの労苦を忘れて一夜をすごすのが娯楽の少ない当時としては無上の楽しみでありました。これを庚申待といいます。庚申信仰の功徳作法などを述べた庚申縁起という本に三年一座即ち一年に六度三年で十八度の庚申待を終ったならば平素よりも御盛物などをたくさんあげて塚を築き塔を建てて盛大に供養するようにと書いてあります。この辺の講中の人々も恐らくその教えに従ってこれらの塔を建てたものと思います。
年代は延宝2年(1672)から元文4年(1739)までのものです。もとは、それぞれ村や町中に建てられていましたが都市化の早かった渋谷では明治末から大正時代にかけて渋谷川畔にあった田中稲荷の社殿の周囲に順次集められ戦災を蒙るまでそこにならべられていました。戦後区画整理の実施とともに、田中稲荷は金王八幡神社南側の地に移り豊栄稲荷と名を改め庚申塔は八幡神社の社殿横に移され今日に及びました。今回金王八幡神社鎮座八百八十周年記念の為社殿社地の整備に際し豊栄稲荷は崇敬会諸氏の御盡力で立派な社殿が再建され庚申塔も旧渋谷村民の歴史的文化遺産として手厚い保護のもとに次の世代に受継がなければならないと有馬康男、安藤善啓氏をはじめ多くの皆さん方の御努力で当社地に還りました。この昔の姿を語りかけてくれる貴重な遺物が立派に整備されたことは大変誉なことでこれからも大切に見守ってゆきたいものです。渋谷に生まれ庚申の研究者の一人として依頼されましたのでいささか略記させていただきました。
 昭和47年(1972)12月 庚申懇話会 横田甲一
 渋谷区道玄坂2-5-8   安藤善啓建之  西麻布 石久刻
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